●『NYから帰ってきちゃった』その2 ステナイデ1号掲載

ニューヨークの仕事・前編

ニューヨークでお仕事する人。なんてカッコイイひびきなんでしょう。そのカッコイイ仕事人、それが私なのであります。みなさん。ニューヨークはチョロいですよ。こんなアホな私でもお仕事やっちゃってるんですから。英語 なんてしゃべられなくてもダイジョブ、ダイジョブ。根性とアホを徹底すれば、やっていける。

そこで今回は、「ニューヨークでお仕事するイラストレーター・つくしバージョン」を二回に渡ってお話したいと思います。

NYの出版社や広告代理店やデザイン事務所は山のようにある。が、どこにどんな出版社やデザイン事務所があるのかさっぱりわからない。私みたいに日本 と言う、第三世界(アメリカ人にとって日本とはそんなようなもの)からやって来た田舎もんが、いったいどこから情報を得るかと言うと、『チルドレンズ・ ライターズアンドイラストレーターズマーケット』など、その筋の業界リストの本を買う。そこには、わんさかとアメリカ中の出版社、デザイン事務所、 広告代理店、そしてエージェントがリストアップされている。

ここぞと勝負をかけたところに、よっしゃあ!と意気込んで、さあ電話営業開始!

慣れない英語で話しかける私。

「は、はろー?」

すると、いきなり録音された留守番電話になっている。「え?え?」と言ってるうちに、どこの部署には4番、ここの部署には15番などと電話の向こうで矢継ぎ早にまくしたてられて、思わず適当に番号を押し てしまうと、とんでもないところにまわされた。

「ハロー?何か御用ですか?」ときた。

「あ、あのー。ワタシハ、イラストレーター、デス・・・」たどたどしい英語でしゃべりはじめると、なんの応答もない。しばらくの沈黙ののち、突然 ブチッと電器を切られた。

ここでめげてはいけない。も一回かけ直す。何回目かの挑戦でやっと編集部にたどり着いた。すると、作品は見ないという。こっちは忙しいんだから、作品のハガキでも送ってよこせ と冷たい態度。なんでえ。お高くとまりやがって。と、捨て台詞を吐きつつ次のターゲットへ。しかし、今度もおとといおいで、とばかりの態度であっけなく電話を切られる。

へんだなあ。そうつぶやいて、もう一度本を読み直す。するとそこにはとんでもなくややこしい営業の手順が書いてあった。

1.作品のハガキを作って千カ所くらいに送る。

2.すべてに電話をして気に入ってもらえたか聞く。そのうち三十カ所くらい良い返事をもらえたら、そこに今度は裏白の印刷物を送る。

3.電話をし、オッケーをもらえたら、今度はスライド写真を送る。そこまできて3カ所のクライアントに気に入ってもらえていたなら、超ラッキー。

4.アートディレクターから、作品を持ってきてよい、というお許しが出てはじめてそこで、原画を見てもらえる。という仕組みになっていたのだ。

こんなのやってられっかよー。こちとら海の向こうからはるばるやってきて時間も金もないんだ。ちんたらそんな手順踏んでられない。私は考えた。いきなりそこに行ってしまおう。手順なんかぶっとばしてしまえ。

「ワタシ、ニホンカラキマシタ。エホン3サツダシテルヨー。ミテクッダサーイ。」電話で立て続けに日本でのキャリアをまくしたてた。すると、いいわ よ、という返事が帰ってくるではないか!こうしてアメリカ式営業方法を一足飛びに踏み越えて、作品を持っていざ出版社へ!

ニューヨークの仕事・後編

ところがアートディレクターには一向に会えない。

作品は、メールルームという、日々の郵便物が届く薄汚い地下の部屋へ置いてこなければ行けない。こんなとこへ作品を置いてきてだいじょうぶなんだろう か。どっかへ無くされちゃったらどうすんのよお。こうしてリスクを抱えながらも、私の営業が始まった。

重たいポートフォリオを抱えてマンハッタンの街をうろうろする日々。雨の日も風の日も雪の日も出版社、広告代理店、デザイン事務所巡りが続く。良い返 事が貰えても仕事にすぐには結びつかない。だから合間を置いては、また作品をためて営業に行く。その数,120軒以上。そうやっているうちに3年が過ぎ た。その間にゲット出来たアメリカの仕事は、絵本一冊と雑誌のカット、本の表紙が数えるほど。これじゃ食べていけない!アメリカには、クライアントとイラストレーターの間に入って仲介をするエージェントというシステムがある。私は日本のエージェントでいい思いをした事 がない。だから自分の力だけで仕事をゲットしようと思っていた。でもそんなこといってられない。心機一転、エージェント探しが始まった。するとアメリカ のイラストレーターにとって、エージェントに所属するということは、すでにプロフェッショナルである事を意味し、それが基準になって仕事は発生していた のだ。

何だー、それを早く言ってよお。って、気がつかない、あんたが悪い。

すぐに一つのエージェントに決まった。ところが、持てども暮らせども半年間なんにも仕事が来ない。頭に来て脱退。もうこうなりゃ、なんでもいいや。え えい。トップクラスのエージェントに挑戦しちゃえ。で、トップクラス30軒に営業する。

すると一カ所に引っかかった。親子二代に渡ってやっているベテランエージェント。父親はとても私の絵を気に入ってくれたが、息子のピーターは二の足を 踏んだ。

「ま、また機会があったらという事で...」と電話を切られそうになる。

「待って待って! ゲイルに聞いて。私の事!」

ゲイルとは唯一私に仕事をくれていたアートディレクター。一瞬思いついて口から出た。もう破れかぶれである。しかし今にして思えば、あの一言がなかっ たら、私はとっくに日本に泣いて帰っていた。

次の日、ピーターはうちにやってきて私の作品を見た。彼は何も言わず、その場で私と契約をする。あとで知ったのだが、ピーターとゲイルは、お互い信頼 し合える関係だったのだ。彼女の一言で、彼は私の仕事を信頼したようだ。

さて、それからは忙しい日々が始まった。今までの苦労はどこにいったのか。でもあの苦しい3年間があったから、ピーターとの出会いを大事にする事が出来 たのである。ちなみに最初のエージェントで、私はなぜ仕事にならなかったのかというと、アートディレクターたちは彼らを嫌っていた。やっかいなエージェントとは仕 事はしたくなかったのである。だから私がピーターのところに移ったのを知って、すぐさま仕事になったというわけだ。エージェントにもピンからキリまであ る、といういい見本であった。

さて、これは私のアホさ加減と根性が作ってくれた結果である。英語なんかしゃべられなくっても、手に職さえあればどこでも生きていける。考えてみれば、英語なんてアメリカに住みゃ、誰でもしゃべることができる。問題なのはそっから先だ。だからみなさん、まず手に技をつけましょう。幸いにも日本人は 賢いし、器用だ。感性の鋭さは世界でも群を抜いているのだ。その気になりゃ、ニューヨーカーよりはるかに仕事が出来る。

ねえ、みんなー。ニューヨーカーより仕事のできる、かっこいい仕事人になりましょうよ!

●『ニッポン癒し天国』

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●『NYから帰ってきちゃった』その2

●『NYから帰ってきちゃった』その3

●『ニッポンジン、総お殿様状態』その1

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●『ニューヨークの陶芸教室』

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